【日本冒険記2】ヒッチハイクで仙台からまずは東京へ。蟻地獄、蓮田SA編
day1 8/7
pm2:30
蓮田SA 到着*1。
羽生の方が名神高速*2に乗る車が多いらしいが、運転手さんによるとここからでも名神に乗れるらしく、僕らは胸をなで下ろす。
一服*3したのちSAの出口付近で意気揚々とボードを掲げる。
「名古屋方面」
この後の2時間を知らぬマヌケな二人組である。
とにかく止まらないのだ。30分ほどして僕らが邪道スタイルと呼ぶ、車に残る運転手さんに直接交渉する方法に早くも変更。
損切りは大事なのだ。
しかしこれもダメ。
ここからだと東京や周辺の県に降りてしまう車が多いのである*4。
名古屋ナンバーや大阪ナンバーを見つけては一喜一憂していた自分たち。目も当てられないアホである。
さらに30分が経ち、いよいよ名古屋は無理と判断。静岡に目標を下方修正。
損切りは大事なのだ。
途中でイカした若いお父さんが面白がって声をかけてくれた。
「俺ァ千葉なんだよォ、まあ頑張ってな!」
こういった人は時々現れる。たいへんありがたい存在である。
元気を取り戻した僕らは効率を重視すべく二手に分かれとにかく駐車場を練り歩いた。
天も見放したかに思えた午後4時半である。なにわナンバー*5の車に乗り込もうとするサラリーマン風の運転手さんに声をかけると二つ返事で承諾いただいた。
(きたああああああああああ)
「東京で降りちゃうけど大丈夫?」
「!?!?!!?!!! 大丈夫です‥‥!!!」
僕は疲れていたのである。
相方は幾分不満そうだったかもしれない。そんな相方を僕は見向きもせず車に乗り込んだ。僕の中に迷いはなかった。早め早めの判断というのは大事である、と。
つまるところ、損切りである。
運転手さんは奇遇なことに東北大卒*6で現在はSE*7をされている方だった。
多少話はそれるが、この方によるとSEというのは一見理系職かに思えるが、むしろ文系的能力の方が長期的には必要であるそうだ。文脈を読むということが大事である*8、と。
職場は銀座*9にあり、スカイツリーのある押上で降ろしていただくことになった。
やはり何度来ても首都高は最高である*10。首都高から見る東京の街。
そうこうしているうちに押上に降り立った。この辺りは下町で、とてもいい雰囲気の街並みであった。夏には隅田川の花火が有名だそう。
スカイツリーももう目と鼻の先というところで車から降ろしていただいた。
毎度のことではあるが降ろしてもらう時はあっけないものである。まさに言葉通り一期一会であると。これがヒッチハイクの良さであることは確かだが。
東京に降り立つ(めちゃめちゃテンション上がってます)。
とりあえずソラマチ*11を物色。スカイツリーを中心として多数の路線やうまく組み込まれた自然、そして下町の風景。ランドスケープデザイン*12としては最高だった。
その後は「川辺で野宿だ!*13」などと意気込んで隅田川を目指す。
途中、さすがは下町と言うべきか、まるで是枝監督の『万引き家族』*14に出て来そうなおばあ二人が夕暮れ時に並んで座り語らっていた。隅田川はどこかと聞くと*15、まさかの名前すら知らないという。仙台*16の僕らでも聞いたことのある名前を、こんなにこの町に馴染んだおばあたちが知らないと。今の今までわからない。もはや永遠の謎である。
途中、またも下町たる所以とも言うべきおばあが道を歩いていた。この方はちゃんと隅田川までの道を教えてくれた。下町の人情を身をもって感じたひとときであった。
そしてさっきのおばあたちは本当に何者だったのだろうと、より謎が深まった。
隅田川に到着した。想像していたいわゆる河原、という感じではなく、コンクリートで舗装された大きな川だった。ランニングや犬の散歩をしている人がいた気がする。
すぐ近くに隅田ICと首都高*17があり、もちろんすぐそこにはスカイツリー。これまたいい景色であった。
〔相方タケちん 隅田川にて〕
川沿いを歩いて浅草*18を目指していると、奇妙な風景に出会った。ブルーシートで覆われた背丈ほどの大きさの家のようなものが川沿いに点在しているのだ。
ホームレスだ。
渋谷の裏通りで一度見た*19ようなスラム街、いわゆる街といった感じではないが、あくまで静かに、ただ確実に生の気配が感じられた。
全部で十数個のそういった家があった。台風*20に備えてかそのどれもがきっちりとブルーシートで覆われているなど、その作りの良さが妙に僕の心をとらえた。構造的にも見るからにしっかりしていて、どういう作りになっているのか気になった*21。
また歩く。
橋をいくつか見過ごし、いよいよ賑やかな界隈にさしかかったあたりでいい雰囲気の赤い橋が目立つ。吾妻橋だ。渡っていくと先には浅草の街である。振り返るとアサヒビールのあの金色のオブジェ、そして東京スカイツリー。
いやア、良い。
写真でわかる通りこの辺から雨がぱらついてきた。疲労は溜まり、宿も決めていなかったためフラストレーションは最高潮である。
レトロなホテルのような存在感のある浅草駅を横目に、何も考えず通りを歩くと雷門の前に出た。
雷門といえば人力車である。
正直良い印象ではなかった。しつこいというか、そう思う方も少なからずいるかと。
案の定声をかけられる。
しかしヒッチハイカーであることを面白がってくれたのか、ラーメン屋を探してるというと親身になっておすすめを教えてくれたりなどした。喋り自体もやはりうまいと言わざるを得ない、というかめちゃくちゃ面白い。気持ちのいい人であり、今度会ったら乗ってみようかなとつい思ってしまうほどであった。
ラーメンは奮発して特製ラーメンを。柚子の効いたほっとする一杯だった。一気にスープまで飲み干し、店を後に。
〔与ろゐ屋 特製ラーメン〕
とにかく疲れていたのでめんどくさくなってしまい、以前のヒッチハイクで利用させてもらったゲストハウス(キツネシッポhttp://kitsune-shippo.com/asakusa/
)に泊まることにした。
めんどくささとは本当に敵である。
ドミトリー*22だが、他にお客さんがいなかったので二人でのんびりできたのはよかった。そして安く飲める1階のバー*23で飲んだビールは忘れられない。うまかった。
たばこを吸いに外に出がてら、ぶらついた。浅草寺のさらに裏手にある地元の方々のディープなエリアである。こちらもザ・下町といったいい雰囲気。
〔こんなところでたばこを吸ったヨ 携帯灰皿はコーヒーの空缶さ〕
22時宿へ戻る。イケメンで気さくなオーナーとカウンターには大人な女性。
おやすみと声をかけ部屋に戻る。
初日はまあこんな具合。長かった!
では、また
*3:この旅で吸ったたばこは数知れず。だがこれがまたうまいのである
*4:下道(一般道)に降りることはその日の終わりを意味する。のんびり下道を走っていては日本縦断など夢のまた夢である
*5:言わずと知れた大阪のナンバー。難波ーと変換しても面白いかもしれない
*6:筆者も東北大を卒業する予定である。めどはまだ立っていない
*7:システムエンジニア。病院のシステムの管理をしているらしい
*8:抽象的で筆者はよくわからなかった
*9:響きが最高である。銀座はオフィス街らしく珍しい勤め先ではないらしい
*10:二度目である
*12:言いたいだけである
*13:今回の旅で何度発した言葉であろう。結局一度もしなかったのは十分に恥ずべきことだろう
*14:すごく好きな映画の一つであり監督の一人である。ちなみに映画への造詣は浅い
*15:旅の最中は自分でも驚くほど積極的になれたのだ。普段ならまずできないだろう
*16:宮城の県庁所在地であり東北唯一の政令指定都市。僕の暮らす街である
*17:東京都の上を走る高速道路。いつか傍に女性を乗せて走るというのもやぶさかではない、といったロマンチックな場所なのだ
*18:ここから浅草は目と鼻の先である
*19:2016年の春。大学に入る前の3月のこと
*20:その時もう東京に上陸しようかというところであった
*21:なんなら一泊させてもらいたかったがさすがにその度胸はなかった
*22:相部屋。4人部屋だった
【日本冒険記1】雨降る中... ヒッチハイク日本縦断。初日のアレコレ
day1 8月7日
am9:30
実家*1からほど近い宮城ICの手前、道幅が広がり始めた地点でボードを掲げる。
2回目*2とはいえ5か月ぶりとなるこの行為はやはり忘れ難い羞恥を伴うのだ。
しかし今回は相方*3と二人。恥ずかしいこともふたりでやればなんとやら。振り返れば、楽しいことは2倍に、辛いことは半分に、なったような気がする*4。
そう、雨だったのだ。
前日の予報により別段驚くことはなかったが、とにかくやる気が出ない。
成功する気がしないのだ(これは後に覆されることとなる)。
相方*5の驚くほど前のめりな姿勢に半ば圧倒されつつ、渋々開始。
近くのジョイフル*6で身支度を整え*7、いざ始めようかと言うとき、不思議とやる気に溢れている自分を見つけたのだ。
これがヒッチハイクである。
ヒッチハイクとは人生の縮図であると、早々に名言をぶち込んでおこう*8。
先へ進もう。
10時。一台の車が止まり、雨の中窓を開け声をかけてくださる*9。
「どこいくの?!」
「東京です!!!」
「のってのって!」
といったような感じであっただろうか。忘れられない一瞬のひとつである。
1台目
雨を払いつつ急ぎ足で乗り込む。車は広くはないが5人乗りで、前に女性が二人、後ろに女の子が一人だった。東京まで行くとのことだったので、まだ時間も早いし今日はもう少し先を目指そうと、羽生SA*10で降ろしていただくことにした。
会話は質問攻め*11から、運転手さんの話というのが大きな流れであった。
その運転手さん、アメリカの大学を出て、今は東京で映像関係の仕事をしている、という。 のんびりしていそうでなかなかの手練れである。
数えてみると計15台の車に乗せてもらったという今回の旅であったが、面白いことに考え方が日本人離れしている*12方が多かった。
この方もそうである。
というのも普通に日本で生活していて、英語が話せるようになりたいから海外の大学に行く、となるだろうか?
少なくとも僕は受験勉強に頭がいっぱいで、そんなこと思いもしなかった。
この旅でいろんな方と話し、自分がいかに小さな世界で物事を考えているかがよく分かった。当たり前だが、日本だけでも十分多様な人がいて*13、さらに今回出会った方は自分の人生観をきちんともっている方が多かったので、それをより強く感じられた。
1台目*14の話に戻ろう。
雨で僕らの体は薄っすら濡れていたが、それもすぐに乾いてしまうような車内で心地良かった。
羽生SAまでは3時間以上かかるので会話が途切れることも多かった。
見計らって隣に座る女の子*15に話しかける、僕ら二人で会話をする、など対策の限りを尽くしたが、必ず沈黙は訪れた。
これはヒッチハイクにおける宿命と言っても過言ではない。これからヒッチハイクに向かうもの、恐るるなかれである。
かくいう僕もできることはやったと、無言で車に揺られる時間を楽しむことを覚えた。
逆に無理やり話題を出すというのも、お互いに不幸である。
運命に身を任せ、自然にいようではないか。さすれば自ずと話題が降りてくる、こともある。
そうこうしている間に羽生SAを通り過ぎてしまった。
「!?!?!」
「ごめん過ぎちゃったね。。次の蓮田SAでも大丈夫?」
「全然大丈夫す!!!!!!!!!!!!!!!」
これが後に地獄の入り口となることを、その時の僕らは知る由もない。
次回、最難関サービスエリア蓮田編!
*1:僕は21年間実家で暮らすなかなかに腑抜けた大学生なのだ
*2:1回目は今年の3月
*3:相方は幾分手慣れたブログをやっているhttps://takechin.com 同じ旅を二人の視点で楽しめるゾ
*4:二人で行動することで生まれる余計なフラストレーションは除外して計算
*5:名をタケちんと言う
*6:田舎では有名なファミレスである
*7:相方にレインパーカーを準備させるという筆者の横柄ぶりである
*8:余白が許さないため、この言葉の詳しい解説はまた別の記事で書きたいと思う
*9:間違いなく敬意を払うお相手なのである
*11:最初は十中八九これである
*12:概していい意味である
*13:少なくとも自分はそう感じた
*14:僕らは運転手さんと互いに名前を名乗らない主義であるので、「何台目」という呼び方になるのをお許し頂きたい
*15:運転手さんの娘である