【日本冒険記1】雨降る中... ヒッチハイク日本縦断。初日のアレコレ
day1 8月7日
am9:30
実家*1からほど近い宮城ICの手前、道幅が広がり始めた地点でボードを掲げる。
2回目*2とはいえ5か月ぶりとなるこの行為はやはり忘れ難い羞恥を伴うのだ。
しかし今回は相方*3と二人。恥ずかしいこともふたりでやればなんとやら。振り返れば、楽しいことは2倍に、辛いことは半分に、なったような気がする*4。
そう、雨だったのだ。
前日の予報により別段驚くことはなかったが、とにかくやる気が出ない。
成功する気がしないのだ(これは後に覆されることとなる)。
相方*5の驚くほど前のめりな姿勢に半ば圧倒されつつ、渋々開始。
近くのジョイフル*6で身支度を整え*7、いざ始めようかと言うとき、不思議とやる気に溢れている自分を見つけたのだ。
これがヒッチハイクである。
ヒッチハイクとは人生の縮図であると、早々に名言をぶち込んでおこう*8。
先へ進もう。
10時。一台の車が止まり、雨の中窓を開け声をかけてくださる*9。
「どこいくの?!」
「東京です!!!」
「のってのって!」
といったような感じであっただろうか。忘れられない一瞬のひとつである。
1台目
雨を払いつつ急ぎ足で乗り込む。車は広くはないが5人乗りで、前に女性が二人、後ろに女の子が一人だった。東京まで行くとのことだったので、まだ時間も早いし今日はもう少し先を目指そうと、羽生SA*10で降ろしていただくことにした。
会話は質問攻め*11から、運転手さんの話というのが大きな流れであった。
その運転手さん、アメリカの大学を出て、今は東京で映像関係の仕事をしている、という。 のんびりしていそうでなかなかの手練れである。
数えてみると計15台の車に乗せてもらったという今回の旅であったが、面白いことに考え方が日本人離れしている*12方が多かった。
この方もそうである。
というのも普通に日本で生活していて、英語が話せるようになりたいから海外の大学に行く、となるだろうか?
少なくとも僕は受験勉強に頭がいっぱいで、そんなこと思いもしなかった。
この旅でいろんな方と話し、自分がいかに小さな世界で物事を考えているかがよく分かった。当たり前だが、日本だけでも十分多様な人がいて*13、さらに今回出会った方は自分の人生観をきちんともっている方が多かったので、それをより強く感じられた。
1台目*14の話に戻ろう。
雨で僕らの体は薄っすら濡れていたが、それもすぐに乾いてしまうような車内で心地良かった。
羽生SAまでは3時間以上かかるので会話が途切れることも多かった。
見計らって隣に座る女の子*15に話しかける、僕ら二人で会話をする、など対策の限りを尽くしたが、必ず沈黙は訪れた。
これはヒッチハイクにおける宿命と言っても過言ではない。これからヒッチハイクに向かうもの、恐るるなかれである。
かくいう僕もできることはやったと、無言で車に揺られる時間を楽しむことを覚えた。
逆に無理やり話題を出すというのも、お互いに不幸である。
運命に身を任せ、自然にいようではないか。さすれば自ずと話題が降りてくる、こともある。
そうこうしている間に羽生SAを通り過ぎてしまった。
「!?!?!」
「ごめん過ぎちゃったね。。次の蓮田SAでも大丈夫?」
「全然大丈夫す!!!!!!!!!!!!!!!」
これが後に地獄の入り口となることを、その時の僕らは知る由もない。
次回、最難関サービスエリア蓮田編!
*1:僕は21年間実家で暮らすなかなかに腑抜けた大学生なのだ
*2:1回目は今年の3月
*3:相方は幾分手慣れたブログをやっているhttps://takechin.com 同じ旅を二人の視点で楽しめるゾ
*4:二人で行動することで生まれる余計なフラストレーションは除外して計算
*5:名をタケちんと言う
*6:田舎では有名なファミレスである
*7:相方にレインパーカーを準備させるという筆者の横柄ぶりである
*8:余白が許さないため、この言葉の詳しい解説はまた別の記事で書きたいと思う
*9:間違いなく敬意を払うお相手なのである
*11:最初は十中八九これである
*12:概していい意味である
*13:少なくとも自分はそう感じた
*14:僕らは運転手さんと互いに名前を名乗らない主義であるので、「何台目」という呼び方になるのをお許し頂きたい
*15:運転手さんの娘である