最近 聴いているポップ・ミュージック
最近はまた日本の音楽をいろいろ探しては聴いています。
Lamp(ランプ)は2000年に結成された、日本のバンド[1]。ボサノヴァをベースに様々な音楽を織り交ぜた、複雑かつ洗練されたサウンドが特徴である。
これはSpotifyで渋谷系*1を聴いていたらたまたま流れてきて、それからちょこちょこ聴いています。
2000年に結成とあるので渋谷系ではないのかな。渋谷系はどうやら昨今の90年代ブームによって再評価されているらしく、なんとなくでハマっていたことの理由の一つが見つかった気がします。
とにかく冬に聴くのにすごく合います。空気の澄んで冷え切った夜なんかに聴くのは最高でしょう。
小山田 圭吾(おやまだ けいご、1969年1月27日 - )は、日本のミュージシャン。フリッパーズ・ギターのメンバーとして1989年にデビューし、フリッパーズ・ギター解散後は主にソロユニットCornelius(コーネリアス)として活動。
Corneliusってバンドだと思ってたら小山田圭吾のソロユニットなんですね。
これは渋谷系の筆頭だと思います。前に聴いてちょっと背伸びしてる感覚があったけど、最近またちょこちょこ聴いています。
すごい独特で、音楽性が高くて好きなのでこれからもっと聴いていきたいです。
FM京都でやってるFLAG RADIOの奇数月にパーソナリティーとして曲を流していて*2、選曲がやっぱ変わってて面白いです。でもなかなか聴けていないのでなんとか聴いてストックしていきたいです。ちなみにD.A.N.も偶数月にやっていて、こっちは映画のレビューのコーナーがあったりちゃんとラジオっぽくて聴けてます。
アルバムで2つオススメがあって、ひとつは『The First Question Award』という1994年のアルバムです。
これはザ・渋谷系として有名な『THE SUN IS MY ENEMY』という曲から始まる全体的に明るめのアルバムです。
でもぼくのイメージとしては良い意味でCorneliusっぽくない感じです。
初期はフリッパーズ・ギター解散直後や時代性もあってこういう感じだったんだなと思います。
2つ目は結構Corneliusらしさ*3が出てきていて、より好きな『FANTASMA』です。
なんというかコンピューターの感じがすごいぽいし、変調とかが面白くてのれます。
アルバム単位で聴くものだなっていう繋がりのあるアルバムです。
レコードほしい。
3. キリンジ
日本のバンド。ポップ・ミュージック、AOR。1996年10月、実兄弟である堀込泰行(Vo/Gt)堀込高樹(Gt/Vo)の二人で「キリンジ」を結成。
キリンジは2曲くらいしか聴いていなかったが、D.A.N.が影響を受けた9枚のアルバムの1枚にキリンジの『3』を選んでいたことでより興味を持ちました。
今ではこの3つだと一番聴いているかもしれません。なんで聴くようになったのかはよくわからないけど、この冬くらいからよく聴いています。
でも秋から冬っぽい感じはして、そういう季節感みたいなのは面白いなと思うこの頃です。
先ほどの2000年リリースのアルバム『3』は本当に良くてちゃんと聴いていきたいなと。
冬っぽいと言いましたが『スイートソウル』は夏っぽいのでそんなことないですね。
夏の夜って感じです。ちょっと最近の2003年のep
やっぱ夏が恋しいですね。
この前のあちこちオードリー*4のゲストでスピードワゴン小沢さんが人生の好きなものランキング1位に夏を挙げていてなんかすごい最高でした。
これもおすすめの曲です。
キリンジはメロディーも歌詞もすごくロマンチックで深いと感じます。
ポップであり、程よく暗い部分もあり、圧倒的な個性があると思います。
最近はテクノっぽい感じでそれも良いです。
やっぱ変化していくアーティストは面白いです。
今回はこの辺で
2020
[新国立競技場 隈研吾氏設計 これは確か2019年のお盆、夕暮時]
今年2度目の東京オリンピックが開かれるらしい。
そんな影響もあり、ぼくは無事上京した2019年だった。
大きな変化の年というのは本当に大きく変わるものだ(当たり前である)
拠点が仙台から東京に移ったことはもちろんのこと、大切な人たちに出会えたり、またはお別れしたり。新しい趣味ができたり、新しい世界を知ったり、挙げればなかなかに切りがない、我が人生年表に太字で示されて然るべき2019年であった。
それは荒波のようで、案外地に足のついた変化というか、
変化はすでに始まっていたものがたまたま次々と表出してきた、といった世の言わば常である。
だがいかんせん、変化の波にうまく乗れたかというとそんなことはさらさらなく、溺れたことはもう覚えていないほどにあった。
しかし、と逆説が続くが、見たこともないような波に何度も乗ったこともまた覚えていないほどにあるのだ(うん)
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、それが栄養にも毒にもなることを思えばなおのこと、面白き言伝(すゑひろがりず)
本題本題
今日はインド風のスパイスカレーを作った。
というのも、昨夜、「今年は勉強の年だ!」などとウチの同居人(弟)がのさばり、本屋に行くのだとうるさいので吉祥寺に行ったのだが、
さて弟はというと7,8千円もする植物の本を意気込んで買っていた。それに便乗して私めも 『いちばんやさしいスパイスの教科書 水野仁輔』 を購入。
というわけである。
なーに大きい本だからと気に止むことはない、何と言っても ’’いちばんやさしい’’ のだから。
そもそもスパイスというより、料理に関心が出てきたことが全ての始まりで、もっと古代まで遡ると、なーになんてことはない、弟が自炊主義ということの影響である。
生粋の節約家であり、栄養主義の弟は当然共に暮らすわたくしにも自炊を課したのだ。
これは案外良い枷であり、おかげでスパイスという新しい好奇心の扉が開かれたのだ。
(無論、わたくしは弟の尻に敷かれていると言って差し支えない)
クリスマス、ビーフシチューを作ろうとしたんだよね。
なんだかその日はふたりともご機嫌斜め、水を入れ過ぎたりしてとてもじゃないがビーフシチューと呼べる固さじゃなかったり、上手くいかなかったわけ。
そこにタイル(愛猫)が大ジャーンプッッ
益子陶器市*1で買った一番大きな茶色い皿がガッシャーンッッ
どん底を味わったものは這い上がるしかないわけ。
そっからビーフシチューにはカレールー、シチュールー、ビールーなどをとにかく入れた。そして煮込んだ。
俺ら、やるっきゃないっしょ、ってわけ
そん時出来たビーフシチューがすげーうまくってさ!
まっ、名前とかどうでもよくうまかったのであります!
それが一番の、言ったらきっかけになったのかも。
ちなみに今日のスパイスカレーは初めてにしちゃ上手くは出来た。
上手くはできたよ。でも美味くねえんだわ。
3つ星への道はまだ遠いってか、ハイよォ!
【大学選び】理系に進めば相対的に就職の幅は広がる話
現在地元の旧帝大で経済学を学んでいる。
否、正確には経済学部に所属しているわたくし。
3年生も終盤に入る頃になっていよいよ建築系の学部に編入したい機運が高まっている。
一番大きな理由としては将来の選択肢の幅であろう。
大学に入ってから知ったが、日本で一般企業に文系就職する際出た学部は関係ない。
まだ就職したことのない若造が何をぬかしていると思われるこもしれぬが、少し考えれば当然のことだと思う。
就活で聞かれることは大きく二つ
「大学時代何を頑張ったか」 「なぜこの会社で働きたいか」
そしてここで重要なのは「頑張ったことが勉強」というのは必ずしもプラスには働かないということ。また「大学で勉強したことを生かしたい」というのも同じく適当な理由にはなり得ない。(多くの場合であってもちろん例外はある)
それは裏を返せば大学で勉強なんてしなくても就職はできる。もっと言えば理系から文系就職もできる、ということ。
現に大学で遊んでばかりの経済学部生が一流企業に何社も内定をもらった、などという話はいくらでも聞く。理系の文系就職というのもちらほら聞く。
前置きが長くなったが結論、大学では理系に進めば相対的に就職の幅は広がる。
理系しか進めない職は多数あるなか文系にしか進めない職というのはごく限られているのだ。
例を挙げると、建築系の大学を出ると建築士の資格はかなり早めに取れるようになる。もちろん大学で建築を学ばなくとも建築士にはなれるが(cf.安藤忠雄*1)、そういう意味で学部を出た方がアドバンテージは大きい。
ぼく自身の話になるが、建築に関する仕事にも文系就職にも興味がある。
しかしこのまま経済学部を出ると建築の仕事の大部分には就くことが困難に思える。
逆に建築学部に編入すれば文系就職というのは妥当な選択肢として残る。
そういう理由で編入したいと考えている。
現在旧帝大文系にいるので理系に編入となれば当然大学のランクが下がるというのはデメリットとしてある。だがそれも自分にとっては何ら問題ではない。
というのも文系就職で興味のある職種は出版業界だけなのだ。出版業界は何百倍という高倍率で知られている。そんな中大学のランクなんてものはさして関係ない。最終的には人で決めるしかないのだ。もちろんエントリーシートである程度は落とすこともあるからそれなりの大学には進みたいが。
また別の業界にしても一部の大企業を除いて学歴主義というのは一昔前ほどは大きくない。学歴で人を判断するというのは、少なくとも日本においては的外れであることに、世間はともかく、知識人たちはとっくに気づいている。それにそんなことを重視する企業とはそもそも合わないだろう。
そういうわけで就職の話と自分の進路の話でした。
では、また
*1:独学で建築を学び、世界でも数多の作品を手がけた日本の代表的建築家
アウトプットの場としてのブログ
ヒッチハイクで乗せてくれた方が新興宗教の信者だった
〔ステンドグラス 宗教的な意味合いが深い〕
ヒッチハイクでは普通に生活していては絶対に出会わないであろう人と車に乗り合わせ、一期一会という状況も相まってオープンな関係でお話ができるというのが魅力だと思います。
出会い
僕ら*1はヒッチハイクで無事高知県まで到達することができ、そこから仙台へ帰ろうと高知ICの手前でヒッチハイクを試みた。夏真っ盛り。かんかん照りのなか止まる気配のない車に向けてボードを掲げ早2時間が経過していた。もう諦めようかというその時、一人の若々しい中年女性*2だった。
「淡路まで行くん?乗ってき乗ってき!!」
神だ、、、。
ヒッチハイクの神は僕らを見放さなかったのだ‥‥‥!
この時はまだ知る由もない。
彼女が神と対話のできる存在であるということを‥‥
地獄の車内
「淡路行くんやろ?したら乗せてやらなって思ってなあ! 暑い中大変やったやろ?くつろいでくつろいで!*3」
「いやいや、スミマセンほんと助かりました!!!!!」
神である*4。
めちゃめちゃいい人だ、相方*5と胸をなで下ろす。
しばらくは僕らの自己紹介やなぜヒッチハイクをやっているかなど決まりきった会話をしており、とにかく明るくて話しやすいいい人で良かったと、個人的にはいいムード*6だった。
そのムードが徐々にだが確実に壊れていったのは彼女の不可解な言動からだった。
(例に漏れず以下会話文)
「あなたたち、でも疲れてるでしょ?」
「ですねー」
「私がこれから淡路島で会う〇〇さんにパワー入れてもらったらいいよ」
「‥...パワー....ですか?」
「うん。パワー。パワー知らん?」
「ちょっと知らないっすねえ、、(???????)」
「知らんの!パワーやでパワー。楽になるから、入れてもらい」
「....................................................はあ。」
どうやら彼女はそっちの方らしい。早い話、俗にいう新興宗教の信者らしいことを噛み合わない会話が物語っていた。
それからというものそのパワーでいかに自分に奇跡が起こったか、そのこれから会う〇〇さんとやらがいかに恵比寿様のような顔つきであるかなどについて熱く語られ、言わずもがな僕たちは笑いをこらえるのに必死だった*7。
特に相方はひどかった。頑張って相槌を打つ僕の太ももをツンツンしてくるんだもん。
途中のPAに着くとトイレ行くからと車内に僕らを残して出て行った後の開放感ったらなかった。
やばいやばいwwwwwwパワーってなんやねんwwwwwwwwwwこれはやばいwこの車はヤバイwwwwwwwwwwwwwてかやばい戻って来たwww絶対笑うなよwwwww
この旅一番の大盛り上がりである。
戻ってくると彼女はお腹が減っていると言っていた僕らのためにつくねを買って来てくれた。
僕は根は良い人、というか普通に良い人なんだよなあと思った。
相方は食べるかどうか心底訝しげにつくねとにらめっこしていた。
パワー体験
淡路島で新設されたその宗教の道場でかの恵比寿顔の方*8と何かの打ち合わせらしく、そこからは恵比寿様に明石海峡大橋の手前*9まで乗せてもらえるとのことだったので、成り行きで道場に行くことになった。
そこからが僕らの常識の範疇をさらに凌駕する異世界との交流だったのだ。
かなり過疎化が進んでいるであろう田舎のマンションの一室がそれだった。
彼女と合流したエビス*10により、半ば強制的に何かのリストに署名させられ道場に入れられた。中に入ると新設だからか小綺麗で、和室の二間の壁を取っ払った広々とした20畳ほどの一室と障子で仕切られた8畳ほどであろう小部屋*11の二部屋だった。大広間には簡易な敷布団と枕が4セット。中央にある床の間は全面金箔で覆われ、書道家でもある教祖様の書が堂々と飾ってあり、その前にお賽銭箱のようなものが置かれていた。
その布団に僕らはうつ伏せで寝かされ、早速パワーを入れてもらえることに。
その施術?儀式?は1〜2時間ほどだったが、結果からいうと笑いをこらえるための表情筋が鍛えられる程度のものだった。
僕らの信仰心が足りなかったのだろうか*12、早い話ちっとも楽になどならないのだ。
儀式の一部始終をお伝えしよう。
- 「手かざし」と言われるその宗教最初の一手であり最大の奥義を、リュックの重みに耐えかねていた僕の両肩に受ける。これが前述のパワーである
- 1時間弱パワーを注入してもらったのちに起き上がると、エビスの「楽になったか?」の一言と嘘ひとつない至上の笑み
- エビスと1mに満たない距離感で対面した形で椅子に座り、目をつぶらされる。その後なかなかの声量で謎の呪文を唱えられる。およそ15分ほどだったとは思うがカップラーメン5個では語れない悠久の時を過ごす。
- 久しぶりに入ってくる光が後光のようにエビスの満面の笑みを映し出す
- 例の金の床の間へ、三拍四礼ナンチャラと謎の回数祈りを捧げる
手かざしでは不思議とあったかいような気もしてきたが、見事に全身がダルいまま。
あとで、乗せてくれた女性にも「顔色全然違うやん!」などと言われたが全く自覚はない。
ダントツで辛かったのは3の呪文タイム。もうこの状況が謎すぎて思わず吹き出すところだったw
だがここで笑いを押し殺さねば俺が殺られると本能で理解。歯を食いしばって乗り切った。
宗教への誘い
この後は女性の用事などで出発まで時間があり、その間もう一人の信者*13にチラシや会報のようなものを見せてもらった。僕が色々と尋ねると意外にも詳しくは知らないようであった*14。
しつこい勧誘などは全くなく、以外にもその後はあっさりしていた。
逆に
「怪しいでしょ?ごめんね、、」
といった態度まで見られたのは意外だった。
しかし最初の女性には
「仙台にもあるから体験でも良いからもう一回行ったほうがいい!」
「1万5千円で3日間の研修を受けられる。それでパワーを出せるようになる」
などと真剣な眼差しで言われたので最上級の愛想笑いと曖昧な返事でその場を乗り切った。
エビスはとにかく神がかった笑顔を振りまいているだけだった。
怪しげな部屋
いよいよそこを後にする段になり、玄関口の方へ行くと小部屋の上にある札が目に入る。
「母子室」
中村文則の「教団X」を読んだこともありいかがわしい部屋ではないかと推察したが、後で調べると特にそれらしい情報はなく、単に親子で一緒に儀式をするようなところのようだ*15。
夕食に連れられる
道場を後にし、女性、エビス、そして僕ら2人で淡路SAまで車で向かった*16。
旅路ではよくあることだったが、この日も例に漏れず飯らしい飯にありつけていなかった。
ちょうど日も暮れていい時間帯だしせっかくだからと、彼らのよく行くお店に連れて行ってもらった。
お店はメニューが多くアットホームな雰囲気。
「なんでも好きなもの頼み〜」と相変わらずの優しさで言われたので、2人して鰻丼とうどんのセットにした。
はっきりそう言われたわけではないが、奢ってくれるような雰囲気だったので高すぎず安すぎずの程よい値段のものを選択。
手かざしにどれほどのパワーがあるかなど、その宗教の求心力となっているのであろうお決まりのエピソードを聞かされながらも、普通の会話も楽しく、そうこうしているうちに美味しくたいらげた。
事件が起こったのはその後のこと
「美味しかったです!」
「よかったよかった!」
などと和やかなムードのお会計時である。
一応無礼の無いよう財布はしっかり出しておいた僕らに聞こえてきたのは
「お会計別で」
というエビスの静かな言葉とその日見る初めての真顔であった。
そして別れ
最後に会計をした僕ら2人はぶつくさと文句を垂れながらも、ここで彼らの気分を害しては身の危険に直結すると、ありったけの笑顔で車に乗り込む*17。
そこからSAまでは前で彼らは話し込んでいたので、僕らは後ろでバレないように手かざしを真似て暇を潰した。
淡路SAは大きな観覧車があったり明石海峡大橋*18が見えるということもあり非常に大きく賑わったサービスエリアだ。
駐車場に入り、どこで下ろそうか、などという頃になって徐々に現実に戻っているような感覚に襲われた。
なんだか感極まって大声で
「ありがとうございました!!!!」
と別れを告げ、車が小さくなって行くのを見届けるまでもなく一目散に喫煙所を探した。
喫煙所では会社員風の男女が観覧車を見ながら煙草を吹かしていた。
その光景を見てさっきまでの状況との差に歴然とした
「やっぱこっちが現実だよなあ‥‥‥」
2人でしみじみと煙草を吸った*19。
終わりに
事あるごとに宗教ではないからと強調されたが新興宗教であることは間違いなさそうだ。「宗教」と言う言葉に良いイメージのない今の時代にはそう言うしかないのだろう。
ここまで読んで気づいた方がいるかもしれないが、今回出会ったのは
「崇教真光(すうきょうまひかり)」と言う団体の方々。
宗教真光はフランス・ドイツ・ベルギーでカルト指定されている大変危険な宗教。
真光には初級・中級・上級とあり、自分の位を上げるためには信者を増やさなければなりません
だから友達や親戚を片っ端から誘い、道場に連れて行こうとする。
引用元:
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14107237414
なにはともあれ無事だったので、宗教関係者が身近にいない僕には貴重な体験となった。
旅人だったから逆にしつこくは勧誘されずに済んだのでは、と今では思う。
意外だったのが、親切で、コミュニケーション力もあり、普通に接している分にはなんらヤバイ感じがないということ。
女性の旦那さんは大手自動車メーカーに務めていて、聞いた話だと普通に裕福で幸せな暮らしを営んでいるようだった。
しかし子供の話には心底同情した。
両親が信者だと自ずと自分もそうしなければならない。
幼い頃からの洗脳で人生を棒に振ってしまうことになるかもしれないし、もしおかしいと気づけても両親を前にしてそれを言うのは難しいだろう。
それが理由で周りからは奇異な目で見られるかもしれない。友達や恋人を失うかもしれない。
色々考えさせられた。
個人的には団体の構造が気になった
岐阜の高山に総本山があり、その建物は非常に立派でかなりのお金がかかっていることは明らかだった。四国八十八箇所の巡礼施設を始め全国、そして最近はアフリカにまで道場を作っているらしい。
そう言ったお金が「パワー研修二泊三日15000円」などでまかなえるはずもない。
「身体から毒素が出て行く」などと謳ったお米のチラシが道場の掲示板に貼ってあった。
まあ色々あるのだろう*20
今回のヒッチハイク計15台の車に乗せていただいたのだが、これがダントツで衝撃的な出来事だった。
なかなかこういうことはないかと思うし、嫌な人は嫌だろうからオススメはできないが、これがヒッチハイクの醍醐味だ!と僕は言いたい。
乗せてくださる方はみんないい人で面白い話もたくさん聞けるので、是非*21
*1:その時友達と二人、仙台からただただ西を目指すだけのヒッチハイク旅行をしていた
*2:美魔女といった感じか
*3:あくまでイメージの方言。多分こんな感じ
*4:そう、神に近いお方なのだ
*5:僕より幾分気の利いたブログをやっている
*6:いやらしい意味はないぞ。想像力の高いそこの君
*7:wwwwwwwwwwww
*8:以下エビス
*9:淡路SA
*10:彼は確かに柔和な顔つきでかっぷくの良い、恵比寿様と言われれば納得の風貌の中年男性だった
*11:こちらには入ることはできなかった。後述するがなんとなく怪しげな部屋
*12:きっとそうなのである
*13:たまたま道場に顔を出した女性。相方の儀式を取り仕切った
*14:歴史や成り立ちなど
*15:あくまで推測
*18:世界最長の吊り橋として有名
*19:実際はネタが色々ありすぎてずっと爆笑してました
*20:書くのに疲れてきた
【初心者向け】Huji Camを使ったユニークな写真の撮り方5選
1.逆光で撮る
2.明暗のある場所を撮る
3.夕暮れや朝焼けを撮る
4.ピントを合わせずに撮る
5.夜や暗い室内で撮る
最後に
僕のバイト先が近々閉店することになった。その一
〔こちらは開店前のコンビニの様子 貴重だよね〕
宮城県仙台市、市街地から車で30分ほど、いわゆる「タウン」と名がつくようなちょっとした町。駅は近く、いちおう二車線ある。市民図書館がありマクドナルドがあり、TSUTAYA、生協、ダイソーがあり、と言った住宅街。
そんな町にもやはりなんとなく経済格差のようなものはあり、そこは高くない地元民たちのためのコンビニであった。
自宅からは少し離れており、自転車で15分くらい。アルバイトを始めたのは今年の3月からであるから、そろそろ半年になろうかというところ。
忙しいコンビニではなかった。いやむしろひまである時間が多かった。シフトは二人制であるにも関わらずだ。
だからここにした、というのは大いにある。なにせ僕はせわしなく動き続けるよりは、時に「暇地獄」などと言われるバイトの方が性に合うのだ。
暇地獄などというのは解消の仕様がいくらでもあるが、居酒屋などあんなに忙しくては選択的自由というものがないではないか。
その点このコンビニはよくできていた(もちろん経営面でといった意味ではない)。
ほどほどにお客は来るので、ある程度レジに突っ立っていても「サボっているな」などとバイト仲間にケチつけられることはない。なお、そうしているのも動くのがめんどくさいからというのもあるが、レジ打ちが好きだからでもある。
人が買いたい物を選び持って来る。僕がバーコードを通し、お金をもらう。袋につめて渡し、そして店を後のする。
こういった一連の作業を正確に繰り返すことが何かしら僕の心を安心させる。(もちろん嫌なお客もいる、そこはいかに対処するかのゲームなのだ。)
そういうわけで二人でシフトに入っているとアイボウが誰であれ大抵僕の方が多くレジを打っていると思われる。少なくともメインレジは自分の居場所といった不文律ができているのではないか(職務怠慢とは言い過ぎであるぞ?君)。
他の業務は当然文律であるが、大した仕事ではない。
店であるのだから当然品物が入って来る。それを僕ら店員が正しい物かどうかを調べる。それが終われば物を売り場に出す。または裏の方に保管しておく。保管したままでは当然売れることはないので適宜出す。お店は必ずしもきれいな状態ではあり得ない。そこで整理清掃も行う。
外部請負の業務も行う(コンビニエンスたりうる所以でもある)。だがこれは多くはないし、あくまで代行業務、簡単なものだ。
基本的なエコシステムはこんなところである。あくまでバイトの立場から見た大まかなそれではあるが。
「コンビニ」という生き物のお世話、みたいなイメージが分かりやすいかもしれない。
そんな僕の働くコンビニがあと1ヶ月で閉店する。
あの真面目で厳しいオーナーの盛大なエイプリルフールでない限り、これは覆らないことだろう。
今日のシフト中に 呼び出された時は何事かと思ったが(この時少し中高の部活を思い出した。呼び出しというのは良いことも悪いこともあるので心が動くよね)、そういうことであった。
かつて、このコンビニ大丈夫か?と思うことも何度かあったが、いざとなると話は別だ。控えめに言ってたいそう驚いた。
とは言っても正直な話、僕はこういった騒動が好きだ。全く、主婦の方など大慌てであろうに、不謹慎だが。まあ勤めて半年のバイトの身、許してほしい。
他のスタッフの様子だが、
オーナーはもう仕方ないといった感じなのだろう。意外にも柔和な表情で僕に告げたのだ。その後は少し笑いながら、この半年で一番と言っていいほど和やかな会話をしたのが印象的だった。スタッフとして他の店舗を紹介できるとのことだったが、それは断った。そろそろ辞める気でいたのだ。稼ぎたいという話は採用時にしていたのでシフトを増やしてもらうことでその話は締められた。とても有り難かった。
その時一緒にシフトに入っていた主婦の方はわりかし穏やかで、そこまで慌てているようには見えなかった。無論、驚いてはいたが、少し楽しんでるようにも見える。
少し変わった人だ。何度か一緒に入り、なんとなく変な距離感ではあったが、今日のシフトで結構仲良くなった(と僕は感じた)のだ。だからこそ素に近い部分が見えて、やはり変わっているなあ(もちろん良い意味で)と思った。
一番仲の良い(と僕は思っている)26歳のフリーターくんは、僕のあとのシフトで、仕事前に話を聞いたらしいが、幾分動揺しているように見えた。彼は発注*1もしているので、経営状態に関する見解をあくまで冷静に述べていたが、その顔は引きつっているように見えた。
次のシフトのもう一人、これまた主婦の方。この方とも僕は最近急激に距離を縮めることに成功したのだが、御方も持ち前の空元気で(今回はより”空”に見えた)動揺を大いに隠されていたと思われる。
一緒に話されてたオーナーの奥さん、これに関しては包み隠さず動揺である。
この二人など女性の方は大変であろうことは想像に難くなかった。間違えなく頑張ってほしいし次も満足のいく職場を見つけられることを願っている。
しかしそれとまた別に、このちょっとした日常からの逸脱、というかこのざわついた状況を見届けたいという自分が確かにいる。
そこでこんなブログを書き、人生をお届けしようと思うに至った。(早い話自己満である。)